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 青少年派遣事業



YCE事業(クラブ交換留学)

 ライオンズクラブ国際協会では1961年から世界各国のメンバーの子弟(17歳から22歳)の見分を広める目的で毎年交換留学生の受け入れと派遣事業を行っており、それをYCE(Youth Camp Exchange)と呼んでいます。昔はYE(Youth Exchange)と言う呼び名でしたが、間に必ず1週間ほどのYouth Camp があることからYCEと言う呼び名に変更されました。派遣の方は希望者がなければ行われないこともありますが、受け入れは毎年必ずあるので、担当クラブは順番に回って来ます。一人のYCE生に対して2クラブがYouth Camp を挟んで前半、後半に分かれて1週間から10日間預かりますが、そのホストファミリーは各クラブで決めます。昔はメンバーも若かったので、丁度メンバーの子供がYCE生と同じ年代で受け入れやすかったのですが、最近では高齢化してYCE生の相手になる家族がおらず、受け入れをするホストファミリーを決めるのも苦労することが多くなりました。従って、1あるいは2ホストで受けていたのを3ホストで受けることも多くなりました。

 それでは私が入会してからの派遣と受け入れについて順番に説明させていただきます。

私がライオンズクラブに入会したのが、19998月、L小田昭男会長の時ですが、翌年L加藤寿則会長の時に派遣希望はないかと言うので、丁度私の長女さくらが東京芸大へ入学したところで、夏季派遣生としてマレーシアへ行かせてもらいました。夏休みに4週間ほどマレーシアへ行くことで貴重な経験をさせてもらい、同じ時期に行った他のクラブの派遣生の方とも交流を深めることが出来たようでした。通常帰国報告会をした後、YCEF(YCE生OB)として、3年間YCE生受け入れ時のお手伝いなどをするのですが、東京の大学へ行っていたためにそれはすることが出来ませんでした。その後、毎年派遣生募集はあるのですが、メンバーの子弟で年齢適格者がなかなかなく、2002年L味岡 正会長の時にノンライオンの伊藤太記君を夏季派遣したことが1回あるだけです。

 受け入れの方は2~3年に1回は担当クラブとして順番が回って来ますので、私が入会してからも数名の受け入れがあり、そのたびに外国の若い人の考えを知ることと、英語を少しでも勉強するために積極的にホストファミリーを引き受けるようにしていました。

 最初にホストファミリーとなったのはL加藤 寿則会長の時で、スロバキアから来た19歳の男の子、ベルナルド・ベカール(ベッキオ)でした。この時はユース・キャンプを挟んで3週間ほど預かったのですが、ジム通いが趣味で、知多市の体育センターへ毎日のように連れて行きました。

 次に受け入れをしたのはL市川 寛会長の時で、マレーシアからの女の子、Miss JESSIE TAN SIEW CHUEN(陳 秀訓)でした。冬期でしたので、クリスマス家族会にも出てもらいました。買い物好きのわがままお嬢さんで、次のホストファミリーに移ってから帰ってしまったとの話を聞きました。

 次に受け入れをしたのは2004年L小田倉平会長の時で、台湾からの夏期来日ユース、周 郁婷さんで、大柄で朗らかなよい子でした。台湾料理も家で作ってくれました。

 次に来たのはL夏目憲行会長の時にチャンさんと言う女の子が冬期に来日していますが、この時は私はホストファミリーではありませんでした。

 次はL大隅英太郎会長の時に台湾からの夏期来日ユース、黄 銓全を受け入れました。この時も家では預かりませんでしたが、ラグーナマリーナのメンバーでしたので、マリーナのバーベキュースペースで雨の中バーベキューをしました。

 次は2008年、L竹内康彦会長の時にマレーシアからの冬期来日ユース、17歳の女の子、メイメイさんを預かりましたが、3日間だけでしたので会長の大隅さん宅にホームステイしています。

 次に来たのは2015年L伴 捷文会長の時に、スロベニアからの夏期来日ユース、ピーター君でした。この時は国際交流協会の大竹富三江さん宅に預かってもらいました。市長表敬訪問、花火大会にも参加してもらいました。

 次に来たのは2019年L鳥居憲臣会長の時に、セルビアからの Miss Dina Piponski さんを夏季受け入れしました。L加藤、L伴と私のところでホームステイしてもらいましたが、なかなかの美人で9月からイタリアで心理学を勉強すると言っていました。お父さんがセルビアで外科医をしており、お母さんは薬剤師とのことでした。市長表敬訪問、花火大会にも出てもらいました。帰ってから一度セルビアに行って見たかったので、訪ねる計画をしていましたが、新型コロナウィルス騒ぎで駄目になりました。

 

さて、多くの来日ユースの受け入れをしましたが、地区役員のYCE委員も2R各クラブ持ち回りで回って来ます。20152017年にうちのクラブに役員の順番が回って来ました。YCE事業と言うのは年度をまたいで行うことが多いので、1年間は副委員として、次の年は正委員として活動します。これも多くの受け入れを経験していると言うことで私にお鉢が回って来ました。私の年度もそうでしたが、メンバーの高齢化で派遣する適齢期の子女がいなくて2Rからの派遣はありませんでしたが、受け入れは毎回ありますので、来日・離日の際、空港への送り迎えやユースキャンプへの送り迎えなどの仕事の他、YCEのOB生の作るYCEFの理事会やイベントへの参加などやることは結構たくさんありました。この活動を通じて、YCEFの皆さんの協力なくしてはYCE事業は成り立たないことを知りました。2017年には名古屋YCEライオンズクラブが設立し、YCEFからライオンズへと言う道筋も出来ました。





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